52. イスラマバード滞在
 5月30日 居候させてもらているT氏のご自宅は、中央で仕切った一軒家の片方を貸家としているものです(残りは大家の住居)。そのお宅は10帖くらいの居間、広いダイニングとキッチン、そして風呂・トイレ付の寝室(8帖くらい)が4室あります。玄関のすぐ外には車が二台停められる駐車スペースと芝生の庭があり、それらを含む敷地は高さ2mくらいの塀で囲まれています。一人で住むには大きすぎるように思えますが、当時のイスラマバードではこの形式の貸家が一般的で、日本のアパートのような貸室はほとんどなかったようです。また、不特定の人が出入りするホテル暮らしでは充分に安全・快適とは言えないのでしょう。T氏宅には使用人としてコック、運転手、門番が常駐していて、彼らの部屋は「離れ」になっています。門番はイスラマバードの警察から派遣されているらしくて、制服を来て銃を持っています。こういうふうに説明すると、大使館職員は税金で贅沢な暮らしをしていると思われそうですが、一定レベルの経済力がある国から来ている大使館員ならこの程度は普通です。日本国内とは条件が違いすぎるのです。使用人を置くのも、単身者の住居が勤務中に無人状態になってしまうことを防ぐ意味がありそうです。
 この日は2000km以上もパンク以外のトラブルなしに走りきってくれたバイクのメンテナンスに出かけました。市街地中心部にある「アブパラマーケット」の裏通りに自動車やバイクの修理をする店が集まっています。その中の一軒にバイクを持ち込んで点検してもらい、ブレーキシューが減っているということだったので交換してもらいました。部品が110ルピーで工賃が8ルピーでした。そのままバイクで市街地の南の丘にある「シャッカルパリアンパーク」という公園に行きます。公園といっても、森の中の坂道を登りきったところに観光地によくあるような展望台があるだけです。展望台の周辺には物売りやインスタントカメラをぶらさげた「写真屋」がうろうろしています。ここから見るイスラマバードは森の中にまばらにビルが生えているような感じで、日本の大都市とは全く違う雰囲気です。



 次は、ペシャーワルからの移動の途上で炎上してしまったサイドバッグに変わる装備を求めてラーワルピンディに出かけました。沢山の荷物を後部の荷台に積み上げると重心が高くなり、かつ後ろに偏るのでバイクが不安定になってしまうのです。それで、シートの上から左右に振り分けて保持するような金属製の箱を注文して作ってもらうことにしました。ラーワルピンディの旧市街のバザールに入って鍛冶屋を覗き込んで、「こういうものを作れないか?」と絵を示して尋ねます。でも鍛冶屋が扱っているのは門扉とか鉄柵のような大型のものばかりです。何軒目だったか忘れましたが、ある鍛冶屋のお兄さんがブリキのバケツなどを売っている店に案内してくれました。そこの店主らしき人物と交渉すると、私の要望どおりの物を作れば250ルピーとのこと。完成するのは6月3日というので、前金200ルピーを払って契約が成立しました。後に完成品を受け取ってバイクに搭載したら下のようになりました。



53. 偵察旅行の終結
 5月31日 今回の偵察旅行で最も困難だったのはラーホールからイスラマ(ピンディ)までの約300kmです。これから何往復することになるのかわかりませんが、一日がかりで炎天下を移動するだけというのは避けたいものです。とりあえずバイクをイスラマに置くことができれば、次回はここまでの行程を冷房つきのバスに置き換えられます。T氏にお願いしてみたところ、ご自宅でバイクを預かってもらえることになりました。なにしろ門番つきなので最高の条件です。  調査用具とバイクを置いて身軽になり、9時15分にT氏宅を出発。まずピンディ行のバスに乗ってコミッティチョークまで移動します(2ルピー)。前にも述べたように、ここは長距離バスの発着場です。車掌がバスの行先を連呼しているのでラーホール行のバスはすぐに見つかります。10時40分に65ルピーを払ってエアコン付きのフライングコーチと呼ばれるタイプのバスに乗り込みます。長距離バスはエアコンのあるなしと車体の奇麗さで値段が違います。安くてボロいバスは乗客を一人でも多く乗せようとするので、客は狭いシートに寿司詰め状態になってしまいます。しかも、あまり速度が出ませんからラーホールまで8時間くらいはかかります。私には耐えられません。フライングコーチなら5、6時間です。私が乗ったときは車内にはかなり空席があり、満席になるのを待って11時5分にバスが発車しました。定刻ではなくて需要に応じて運行するわけです。16時40分にラーホールのバスターミナルに到着し、市内バスに乗換えて学生寮にたどり着きました。これで偵察旅行の全行程が終わり、コーヒスタン地方の地質調査が単独でもできそうだという感触をつかめました。下の図の赤い線が偵察旅行の全移動経路です。


 バイクを使った移動距離は2227kmで、かかった費用の総額は6450ルピー、5月10日から29日までで平均すると一日あたり307ルピーでした。当時の通貨レートで一日2000円を少し越える程度ですから、月額10万円の奨学金で地質調査の費用も充分に賄えるということになります。「出たとこ勝負」で日本を出発し、何もかも手探り状態で過ごしてきましたが、ようやく自分にとっての「研究」につながる道筋が見えてきました。




...つづく

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