71. SirikartからBarkleyまで
  8月11日 カンディア側のBarkleyまで10時間以上かかることがわかっているので、チャイだけで朝食を済ませ、まだ薄暗い5:30にSirikartを出発します。来るときに下って来た道は帰りは急な登り道になるのですが、順調に進んで7:55に峠を通過できました。その先の氷河を降り始めたところで、シラージがザマーンの通訳(パシュトー語→ウルドゥ語)で語ったことによると、「このあたりでイギリス人二人と現地のガイド一人がクレバスに落ちて死んだ。」ようです。そもそも私のウルドゥ語が不充分なのに加えて二重の通訳ですから、詳しいことは分かりません。人が死んだ話を聞かされながら峠の直下を通過していたときに、強烈な腐敗臭が漂ってきたので周囲を見回すと、ロバと羊の死体がそれぞれ一頭ずつ地面に転がったまま放置されていました。死因はわかりません。ここではちょっとした手違いで死ぬことになりそうなので、できるだけ速やかに、ただしクレバスに注意を払いつつ移動します。危険地帯を抜け出したら調査をしながら歩き、時間をかけて谷を降りていきます。下の画像は峠付近の岩の隙間に咲いていた花です。種名はわかりません。






 Barkleyまであと少しというところで左岸に聳え立つ崖状の露頭を発見。岩石種の判定、走向傾斜の測定、試料採取などの作業を行っていると、崖の裏手から男の子が二人現れました。私が岩を相手にごそごそやっているのを少し離れてじっと見入っていました。日が傾いてきたので急いでBarkleyに向いますが、Barkleyは右岸にあるので川を渡らなければなりません。ここは河原の幅が広く、川の水は幾筋にも分かれて小さい流れになっています。飛び越えて渡れるところを選んで進み、もう少しで右岸の道に戻れるというところに現れた最後の流れの幅が2 mを少し越えるくらいありました。河原の砂利の上では充分な助走ができませんので、飛び越えられるかどうかは微妙です。その流れは下流側も上流側も左岸寄りに曲がっているので、流れに沿って移動すると左岸に戻ってしまいます。水深は膝下程度なので水流の中を歩く(「徒渉」と言います)ことはできますが、靴を濡らしたくない(完全に濡れると乾かすのに1日以上かかる)し、脱いで裸足で渡るのもめんどうです。すでにこの川で何度か徒渉しているので水が非常に冷たいことはわかっていて、できればやりたくありません。周囲を見渡すと直径15 cmくらいで長さが約3 mの朽ちかけた木が転がっていました。木は芯までは腐っていなくて、自分の体重くらいは問題なさそうです。それを徒渉ポイントまで引きずって来て向こう側に倒すとうまい具合に橋が架かり、濡れることなく対岸に辿り着けました。



72. 最悪のミス
 その後、私のパキスタン留学の全期間中で最悪とも言えるミスが発覚します。渡ってから数分ほど歩いたでしょうか、調査用の小物を入れているベスト(釣り用のものを転用した袖なしのジャケット)の胸ポケットが空であることに気がつきました。そこにはシルバコンパスが入っていたはずです。そのコンパスは通常の方位磁針の他に傾斜計が付属している特殊な仕様のもので、一台で地層の走向・傾斜を測定できます。最後に作業した露頭に置き忘れたのではないかと思い、急いで戻ってみましたが見つかりません。もしかしたら、子供達が拾って持ち帰ったのかもしれません。すでに薄暗くなってきていてそれ以上探し廻ることもできず、Barkleyのモスクに転がり込みました。



 夕食後に「コンパス紛失」への対策をじっくりと考えます。そのコンパスは当時の日本でも大都市にある大型の登山用品店に行ってみて「在庫があるかどうか」という程度の特殊な代物です。パキスタンで代品を入手するのは短期的には不可能です。そんなことは最初からわかっていますから、当然日本から予備を持って来ています。実は、今回ラーホールを出発するときに予備を持っていくかどうか少し迷ったのです。そのときは「移動中に実機と予備の両方を無くしてしまう」事態を想定して、予備はラーホールに置いていくことにしたのです。実際に紛失してみて、予備は手近になければ無意味だということを思い知らされました。せめてバーレーンまで持って来ていれば、最短で往復2日の損失で調査を再開できます。でもここからラーホールまで戻ると最速の手段を使っても往復5日はかかりそうです。考え抜いて出した結論は「明日の午前中にコンパスを見つける努力をする。見つからなければ、ザマーンとワドゥドをザンビルに残して、自分はラーホールに直行して予備のコンパスを持ってくる。」ということでした。後になって気づいたのですが、ギルギットの山道具屋は登山隊からの流出物を扱っているので、よく探せば入手できそうでした。ギルギットならここから往復3日以内ですが、そのときはなぜか全く思い至りませんでした。
 コンパスが見つかる可能性を少しでも高めるために、ザマーンとワドゥドの通訳を介してBarkleyの長老格と思われる老人に「自分の作業を近くで見ていた子供達がコンパスを拾っていないか?」ということ調べてもらうことにしました。小さな集落ですから、どこの家の子なのかはすぐにわかるようです。その依頼を終えると寝ることにしたのですが、身体は疲れているのに意識が高ぶって寝付けません。深夜にトイレのために起きてモスクの裏手に回って少し離れた場所で用を足していると、足下で何かが動いているような気配がします。蛍が放つような緑がかったほのかな光が点滅しながらたくさん動いていました。その場にしゃがみ込んで暗さに慣れてきた目でよく見ると、ダンゴムシとフナムシを合成したような姿をした虫の尻の先端が蛍のように光っています。体長は大きいやつで3 cmくらいだったと思います。あまりの不気味さに、捕獲して写真を撮る気にはなれませんでした(その場では暗すぎて撮れない)。翌朝に記憶を呼び起こして描いたスケッチが下の画像です。ザマーンにそれを見せて尋ねたら、「それはメシーだ。」と言います。ただし、「メシー」は「虫」という意味なので説明になっていません。



73. 紛失「事件」の顛末
  8月12日 朝食用に久しぶりに小麦粉のロティを焼きます。トウモロコシのロティは硬くてアクがあるので、それに慣れた後で普通のロティを食べると「ごちそう」のようです。砂糖は切らしているので、紅茶に塩を入れます。昨晩の長老への依頼は早朝に実行され、結果は朝食後に判明しました。「その子供達はコンパスを拾っていない。」ということでした。これはもはや「調査中断・ラーホール緊急往復」は避けられそうにない状況です。最後の悪あがきで、問題の露頭に戻ってコンパス紛失に気づいた場所までの移動経路をできるだけ忠実に辿って探してみることにしました。まず露頭を探ってみましたが。見つかりません。そこから河原へ降りて、足下を確認しながら歩きます。幸いにも前日から雨は降っていないので、河原の状態は昨日と同じです。水流を飛び越えた場所を目印にして昨日の経路を再現できます。最後に橋をかけた水流まで来たところで、右手(上流側)にキラッと光るものが見えたような気がしました。近づいて見るとそれがコンパスでした。落とした拍子にカバーが開き、内側の鏡が太陽光を反射し、それが目に入ったのです。
 コンパス紛失の経緯はこうでした。最後の水流を渡るために枯木で橋を架けました。枯木を引き起こして直立させたときに枝がコンパスの紐にひっかかり、そのまま枯木を向こう岸に倒したのでポケットからコンパスが引き出されて少し離れた場所に落下したのです。コンパスが落ちたときの音は、枯木が倒れる音にまぎれてしまって気づかなかったようです。下の写真はベストの胸ポケットにコンンパスを入れた状態を再現したものです。



 ポーター達は、私と一緒にコンパスを探していましたが、見つかったことがわかると彼らは「見つからなかったことにしておけ。」と言います。コンパス紛失の件に村人を巻き込んでしまっているので、河原に落ちていたことが知られるとトラブルになるかもしれないと恐れているのです。私が苦し紛れに放った「子どもたちが拾っているのではないか?」という問いかけは、片言のウルドゥ語からパシュトー語に訳されて伝えられています。村人の側には「隠匿したのではないか?」という疑念の意味を含んで伝わってしまっているかもしれません。村人の名誉を傷つけた可能性があります。とはいえ、この後しばらくの間カンディア谷に滞在して調査を続けていれば、無くしたはずのコンパスを使っていることは知られてしまうでしょう。田舎の村では余所者の動向には常に注意が向けられているはずです。そして、この谷は最近まで外界との交流がほとんどなかった「正真正銘の田舎」なのです。どのようにすべきか迷いましたが、宿泊先のモスクに戻るまでには腹を括りました。昨日相談をもちかけた長老格の老人に「自分で見つけた。」ことを白状し、迷惑をかけたことを詫びました。結果的にこの件に起因すると思われるトラブルはありませんでした。当時の私は若くて失うものが何も無かったからこそできた決断です。今の自分には、それが正しかったかどうかを評価することはできません。
 コンパスを回収できたので7:45に出発し、調査をしながらZambil方面に向かって谷間を降りて行きます。11:30にParai(ここは行きがけにも泊まった村))に着きました。ここで米を炊いて昼食を済ませた後で夕方まで周辺の調査を行いました。

 8月13日 8:30に出発し、前日までと同様に調査しながら歩き、13:30にZambilのベースキャンプに到着しました。ここZambilで雇った二人のガイド(シラージとヤーサイヤド)に7日分の料金700ルピーを支払います。シラージには、ここに一軒だけある雑貨店でビニール製の靴(40ルピー)を買ってボーナスとして渡しました。これで今回のミニ調査隊は解散です。
 Zambilから奥地に泊りがけで調査する試みはとりあえず成功したので、この日の夕食には鶏料理を奮発することにしました。鶏を飼っている近くの民家にザマーンとワドゥドを使いに出して交渉させたところ、小ぶりの雄鶏が200ルピーでした。市街地での鶏の価格の数倍ですが、ここの状況では売り手の言い値で購入するのも仕方ありません。生きている鶏を買って食べるのですから、当然ながら「殺す」ことになります。ザマーンが河原で鶏の首を刎ねて皮を剥いてくれます。鶏が頭部を切り取られた直後にザマーンの手をすり抜けて首から下だけで2メートルくらい走ったのを目撃してしまい、かなりビビりました。カレー味には飽きていたので、「骨つき肉」の状態から先の調理は自分でやります。鍋に油を引いて鶏肉の表面を軽く焼き、少量の水に砂糖を加えて煮込み、日本から持ってきていた醤油で味付けします。そのまま煮込んで水分を飛ばし、「照焼き風」になったら完成です。ザマーン、ワドゥド、自分の3人で食べましたが、醤油味は意外にも好評で、特にザマーンには「あんたの料理はうまい。」と褒められてしまいました。ザマーンとワドゥドが食べたあとの骨つき肉は完全に骨だけになっています。自分は彼らよりも顎が弱いのか、食べ方が下手なのか、きれいに食べ尽くすことはできませんでした。




...つづく

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